2010年9月19日日曜日

たのもしいつながりと安心。旅はつづくよ




北タイとインドをめぐって、3か月の旅が終わりました。
終わってしまえば早いようですが

旅の間に出会った人のことを思い浮かべると、ながいながい旅だったと実感します。
すべてが素晴らしいタイミングで起きて、感謝

チェンライにて、機を教わった、カレン族のおかあさん(メー)の家
全然言葉はわからなかったけれど、メーとは糸を通して意思疎通ができた。

メーの暮らす屋根をふいて、半分壁がついただけの、たまに落ちそうになる高床式の家はすごく居心地がよかった。
たとえば、飲んだ水のカップにアリが沈んでた、ってこと、このときはちょっと気にしたり、気にしなかったり。。。
 食事は米が主食、タイ米よりも、日本米に似た、おうちでつくっているお米。
 野菜中心で、卵、魚、ときにカエルを食べる。カエルカレーは、激辛でした。
 料理にはガスじゃなくて、七輪に似た道具で、薪を使っています。

びっくりしたのが、山岳民族がキリスト教を信仰していたこと。メーは教会の婦人会みたいなのの長で、夜のミーティングに連れて行ってもらいました。何を話し合っているのかは全くわからなかったけれど、お祈りの言葉を言ったり、歌を歌ったり。
日曜日にはカレンの服をきて、シンプルな教会に村中のみんなが集まります。
これが皆それぞれとってもきれい!

1年間こちらにボランティアで滞在している日本人のリマちゃんが通訳で一緒にいてくれたとき、
うちの娘になってもいいよ、とか、帰って、織りを続けて、日本で織ったのを送ってね、と言ってくれた。
毎日朝から昼まで通い続けたメーのおうち。また行きたいな。


そして

藍染めの村、プレーでの、まさかの3週間のホームステイ。

たまたま、乗ったソンテウがこのお店の前で止まった。布について学びたい、と言ったら、
たまたま、そのときに店に英語ペラペラな女性(ニュウ)がきた。
たまたま、そのニュウの同僚のピードンの自宅がとっても大きくて、
たまたま、そのご両親が日本に行きたいと思っていて、うちにいつまでもいなさい、そのかわり、私たち家族が日本に行くときはガイドしてね、と言ってくださった。


たくさん友達ができて、英語も通じる人が限られていたけれど
家族や、藍染めを習いに通ったお店の方々、ご近所さん、訪ねたお店の人まで、すごくかわいがってもらって、
いろいろな所に連れて行ってもらったり、タイ語もたくさん教えてもらって、「この町に住むのもあるかもしれない」とちょっと思ったりしました。

言葉はコミュニケーションでとっても大切だけれど、言葉が通じなくともそれ以上に大切なものがあって、心と心は通じ合えるのだなと強く実感しました。

町を離れるのはとってもつらかったです。
お世話になったおうちのおとうさん(小沢一郎に激似)はチェンマイまで、3時間の道のりを車で送って行ってくれて。
ほかにも、スコータイに連れて行ってもらったり、温泉に連れて行ってもらったり。
せめてのお返しに、と私にできたのは、日本食大好きの家族やお店のみんなにごはんをふるまうことぐらいで。
コロッケ、とんかつ、カレー、手巻きずしなど、たくさん作らせてもらいました。
(ものすごく喜んでくれて、料理好きのヌイという女の子はプレーに帰ってきて、日本料理屋を一緒にやろう!と本気で言ってくれた)

なんて自分はついているんだろう、ここまでしてもらっていいのかなぁ、と思わずにいられなかったです。

なんてラッキーなんだろう!

ありがとう!大好き!!! 


タイでは、一人旅をしていたのに、「一人でご飯をたべる」ってことがおそらく3日くらいしかなかったかもしれない。
いつでも、だれかと、一緒。
だから、タイ語のメニューは読めなかったけれど、いつもいつも、ローカルな食べ物を楽しめました。
そして、そんな状況では「日本食が恋しい」って微塵も思いませんでした。

食べられなかったものと言えば・・
最後に出てきたバッタの佃煮?はかなり抵抗があって、友達が頭をちぎって口元まで運んでくれて、それでやっと口にしました。
味は特に特徴もなくて、まずいとか、食べたことない、といった感じではないのだけど・・

でも、なんだかものすごくショッキングで、冷や汗が出てきて、苦笑いするしかできなかった!
これもまた、ラッキー!